/あとがき
これは絵本創作集団ナイーブシンクタンクさんのコタツDE絵本展に参加するために描いた物です。
それ以前に絵本作家を目指す友人に連れ添って都内絵本巡りをしたり、池袋芸術劇場の創作絵本展を見たりで絵本を描きたいと言う欲求がかなり溜まっていた所に描いた物で、描き終わった時はかなり燃え尽きました。その当時考えていた事をそのままファンタジックな世界観に置き換えて描いたのでかなり絵本のくせに硬い内容になってしまったかと思っています。反響は賛否両論でしたが・・・見てくれてありがとうございました。感想など聞かせてくれると嬉しいです。
幾つか意図した事があります。はっきり言ってこういうのは読む人の自由であるべきだと思うのですが、上に書いたように幾つかの今の現実に対する思いがかなり篭ってますので敢えて書かせて頂きます。
- 燃える神と繁る神、二人は破壊と創造、光と闇のように相対する力の象徴ではありません。たまたま、質量をもった二つの概念がその要素の一つとして相反する力をたまたま持っていたという設定です。燃える神は無邪気で活気に溢れています。繁る神はどちらかと言えば自分から何かをするようなやつではありません。二人の持つ力は自然の一部として見えない力を手にした生き物のように考えてもらえれば良いかと思います。それは世界を構成する一部として、僕達人間などが一人一人持っている重要なカケラと同じものです。突き詰めていけばもっと大きな流れもあると思います。それは意識すべき物であって、今回あまり関係ありません。
- 物語は唐突に始まります。人と人の出会いは自然に、共感であれ反発であれ創造的なエネルギーを発するのです。
- 人が、人が・・・と言ってますが人は描かれてません。よくある遊びです。人は対象であり、第三の抽象的登場人物なのです。
- 燃える神は人のなした事物から生まれます。人を超える生き物は人から生まれるのかも知れません。ナノテクノロジー、経済、宗教、人間を食す魔物は常に隣に居るのです。
- 賛否両論だった終わり、唐突に終ります。これはこの後どうなったかを読んでいる人に考えてもらう、と言う意図の他に、原点回帰を意味しています。これが同じように繰り返される事で歴史が刻まれていく。単純な繰り返しでなく、その過程が大事なのです。歴史が留まる事無く続いて行く。その過程で、読む人がそれをここで見ることで何かを得て欲しい。それが別の過程を生きる人に僅かでも輝きを与えれれば最高かなと思います。人はきっと同じ場所に戻るために生きている。戻って来た場所は同じだとしても、その価値は違うのです。
- 唐突には終りますが、結局繁る神の力で力を得た人間はこれからも燃える神に困らされ続けると思います。燃える神は絶対的な悪ではありませんが、人間は燃える神を敵視すると思います。でも、それは当たり前の事なのです。
長々とどうもありがとうございました。暫くしたらまた何か物語的なものを描きたくなると思うので、その時はどうぞ宜しくお願い致します。
ぶりを
閉じる